大判例

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福岡地方裁判所 平成4年(行ウ)1号 判決

原告

有園法子

右訴訟代理人弁護士

安部千春

田邊匡彦

尾崎英弥

横光幸雄

右安部千春訴訟復代理人弁護士

辻本育子

右田邊匡彦訴訟復代理人弁護士

梶原恒夫

被告

北九州西労働基準監督署長

多賀谷梧朗

右指定代理人

富岡淳

外五名

主文

一  被告が昭和六二年三月九日付で原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、原告の亡夫有園勲(以下「勲」という。)の死亡について労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告が勲の死亡は業務に起因するものではないとしてこれを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をしたため、原告が本件処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実等

1(一)  勲(昭和一四年三月二九日生)は、昭和四八年三月八日に東京製鉄株式会社九州工場(北九州市若松区所在、以下「本件会社」という。)に入社し、それ以降、製鋼作業員として勤務してきた者である(争いのない事実、乙八の4)。

(二)  勲は、製鋼作業員として就労中であった昭和六〇年九月一九日午前八時〇五分ころ意識障害を起こして倒れたため、同僚の運転する車で白井内科医院(北九州市若松区所在、以下「白井医院」という。)に搬送され、同医院の医師により応急措置を受けた後、健和会大手町病院(同布小倉北区所在、以下「大手町病院」という。)に移送され、同病院の医師により蘇生術を施されたが、回復せず、同日午前一〇時二〇分同病院において「急性心不全」により四六歳で死亡した(争いのない事実、乙三の2、五の15、17)。

2(一)  原告は勲の妻であるが、勲の死亡は業務に起因したものであるとして、被告に対して労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は昭和六二年三月九日付で勲の死亡は業務に起因したものであるとは認められないとしてこれを支給しない旨の本件処分をした。

(二)  このため、原告は、本件処分を不服として福岡労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は昭和六三年七月七日付で右審査請求を棄却する旨の決定をした。

(三)  そこでさらに、原告は、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は平成三年九月二七日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決は同年一〇月二九日原告に到達した。

(争いのない事実、甲二、弁論の全趣旨)

二  争点

勲の死亡が業務に起因するか否か。

1  原告の主張

勲の死亡は業務に起因する。

(一) 勲の死亡はいわゆる過労死であって、勲の従事してきた業務と勲の急性心不全による死亡との間には相当因果関係があり、勲の死亡は業務に起因するものである。

すなわち、勲の業務は三交替制であるところ、健康に有害な影響を与えるとされる夜勤交替制でもある。そして、勲の従事していた業務は高所で時間に追われる同一作業であり、高温多湿の作業現場と冷房の施された休憩室での休憩の繰り返しの作業である。このような業務が精神的、肉体的に相当な負担となって、勲には疲労が蓄積していたところ、勲が死亡した日の前日である昭和六〇年九月一八日、勲は、一直・二直の連続勤務を行い(タイムカードの打刻時刻によると、同日の出勤は午前五時五三分、退勤は午後一〇時四五分である。)、帰宅したのが午後一一時二〇分ころであるにもかかわらず、翌同月一九日は午前五時五八分ころに出勤し、午前六時三〇分からの業務に従事しており、過酷な労働であった。

(二) また、勲には基礎疾病(十二指腸潰瘍、高脂血症、心電図異常所見)があったにもかかわらず、業務内容を変更することなく、夜勤を含む三交替制に従事させており、本件会社には安全配慮義務違反がある。

(三) 仮に業務の過重による過労死が認められないとしても、勲は暑熱な作業現場において業務に従事していたことから熱中症により死亡したのであって、勲の従事していた業務と勲の死亡との間には相当因果関係がある。

2  被告の主張

(一) 勲の従事していた業務は特に過重なものとはいえないので、勲の従事した業務と本件災害との間に相当因果関係があるということはできない。

(二) 勲の死亡は急性心筋梗塞に基づく急性心不全によるものであり、熱中症によるものではない。

第三  争点に対する判断

一  前記争いのない事実及び証拠によると、以下の事実を認めることができる。

1  勲の職歴(乙八の4)

勲は、昭和二八年三月に福岡県遠賀郡内の中学校を卒業後、同年四月から昭和三一年八月まで同県鞍手郡内の理髪店に見習として、昭和三二年三月から昭和三七年五月まで北九州市内の炭鉱に、昭和三八年三月から昭和四八年二月まで三重県四日市市内の運送店にそれぞれ勤務した後、昭和四八年三月八日に本件会社に就職した。

2  勲の業務内容等(争いのない事実、乙五の7、八の2、4、検証)

(一) 勲は、昭和四八年三月八日から本件会社で製鋼作業員として働き始めたが、入社当初からCCM(連続鋳造設備、以下「CCM」という。)の現場に配属され、その業務内容は昭和五九年三月二〇日までは機械の修理等であった。

(二) 勲は、昭和五九年三月二一日からCCMのペンダント作業に従事しており、以来死亡の時点に至るまで業務内容に変更はなかった。

(1) ペンダント作業の主な内容は次のようなものである。すなわち、①電気炉で摂氏一五〇〇度に溶けた鋼湯が六〇トン入りのレードル(鍋)に入ってクレーンで運ばれ、タンディッシュを経てモールド(鋳型)を流れ、半製品となるまでの工程で、鋼湯がモールド内を流れる際、モールド内に付着しないよう、潤滑材であるパウダーのモールド内における厚みを管理レベル(三〇ミリメートルから五〇ミリメートル)に保つように監視しながら、必要に応じてパウダーを投入口(三〇センチメートル×一五センチメートル)から取手で投入すること、②モールド内の溶鋼レベルを一定に保つこと(スタート時はマニュアル操作、その後は自動、監視のみ。)、③セミ浸積ノズルまたは浸積ノズルの溶損状態を監視し、三時間に一回の割合で鋼湯の流れを止めて、セミ浸積ノズル(五キログラム)の交換を行い、一〇時間に一回の割合で鋼湯の流れを止め、機械によりタンディッシュの交換(所要時間は約五分)を行うこと、④機械で判断できない急激なモールド内の変化を知るため、モールド内を監視し、異常が発生した場合は適切な処置(班長への報告、レードルマンへの指示)をすることなどである。

パウダーは五キログラム入りの袋に入って作業場所の側に置いてあり、ペンダントマンは、投入口の側の容器の中のパウダーを投入し終われば、数歩歩いて新たな袋入りのパウダーを投入口の側まで運ぶことになっている。

平成四年一〇月六日の検証時におけるペンダントマンによるパウダー投入回数(時間を区切って測定したもの)は次のとおりである。

① 午後三時四九分投入開始 四回

② 午後三時五一分投入開始 四回

③ 午後三時五二分投入開始 一回

④ 午後三時五三分投入開始 五回

⑤ 午後三時五四分投入開始 五回

(2) ペンダント作業は立位で行うものであるが、実作業と休憩を三〇分ごとに繰り返すものであった。

休憩室は作業場所から四メートル位離れたところにあるガラス張りの連続鋳造設備操作室(以下「操作室」という。)の一角を間仕切りして設置されたものであり、室内の広さは三メートル×四メートルで、冷蔵庫、テーブル、椅子等が置かれ、ペンダントマンは休憩室か操作室(いずれも冷房が施されている。)で休憩時間を過ごしていた。

この三〇分の休憩時間の他に食事時間は設けられておらず、休憩時間に必要な食事をとることになっていた。

(3) 昭和六〇年当時、勲の勤務していたCCM作業現場の勤務体制は三交替制で、一直勤務は午前七時から午後三時まで、二直勤務は午後三時から午後一一時まで、三直勤務は午後一一時から翌日午前七時までであったが、本件会社においては、退勤のタイムカードの打刻時間を所定労働時間の終了時間と一致させるために、右終了時間より三〇分早く交替して現場を離れ、着替え、移動、入浴等をなした後、タイムカードに退勤の打刻を行う反面、所定労働時間の開始時間を三〇分早くするという労働慣行が存在し、現実の所定労働時間は、その時間数には変更がなかったものの、実質上、開始、終了ともに各三〇分早い時間に変更されていたのであり、着替え、移動、入浴等の時間は、従前から所定労働時間外として扱われていた。

(4) また、所定労働時間は八時間(実作業四時間、休憩四時間)であるが、欠勤者・病休者がいる場合には連続勤務をすることになる。連続勤務は、残業手当その他の事情を考慮し、特定の者に片寄らないように各班の班長が配分して指示しており(本件会社では、事前に一か月先の三交替制労働者の勤務方法・休日一覧表を作成しているので、これにより各労働者は休日・出勤日を知ることができる。)、昭和六〇年九月当時、各作業員とも月平均二回から三回の連続勤務を行っていた。そして、連続勤務をした後も通常の勤務をすることになる。すなわち、例えば、通常の一直勤務の後に連続勤務として引き続き二直勤務をした場合、その後の勤務は通常の勤務として翌日の一直勤務となる。

なお、連続勤務の場合も実作業と休憩を三〇分ごとに繰り返すことは同様である。

3  作業環境(乙一五、一六、一七の1、2、一八、一九、三四、原告、検証)

(一) ペンダント作業現場はタンディッシュの前方であるが、昭和五九年八月三一日タンディッシュにはタンディッシュカバー(防熱カーテン)が設置され、昭和六〇年五月三一日ペンダント作業現場に風を送る送風機が設置された。

ペンダントマンは、作業時、時々パウダー投入口から火の粉が飛び散ることがあるので、防災衣(上衣)を着用していた。

(二) ペンダント作業現場の作業環境について、勲の死亡当時の作業環境測定記録は存在しないものの、昭和六二年九月七日の測定記録及び検証時(平成四年一〇月六日)の測定記録は次のとおりである。

(1) 昭和六二年九月七日

測定場所 気温℃ 湿度% 輻射熱℃ 騒音dB    測定時刻

CCM上 二八 五八 三六  八八   午前一一時二〇分

CCM下 三〇 五一 三六  八七   午前一一時五〇分

(2) 平成四年一〇月六日

測定場所 気温℃ 湿度% 輻射熱℃ 測定開始時刻

(湿球)      同 終了時刻

CCM下 25.6 七四 三〇  午後二時五五分

(22.1)     午後三時二〇分

CCM上 31.8 四一 九二  午後三時三六分

(21.6)     午後三時五一分

CCM下 39.0 八二 五八  午後三時五三分

(36.0)     午後四時一五分

(三) 勲は生前、原告に対し、職場は暑くて大変であるとか、作業に際し汗をばあっとかくので、休憩のときに休憩室でばあっと汗を取るなどと話していた。

4  勲の勤務状況等(乙五の3、11)

勲の死亡前一週間の勤務状況及び同前三か月の勤務状況は次のとおりである。

(一) 勲の死亡前一週間の勤務状況(括弧内はタイムカード打刻時刻)

昭和六〇年九月一二日 公休

同月一三日 一直勤務(午前五時五二分出勤、午後三時〇〇分退勤)

同月一四日 一直勤務(午前五時五七分出勤、午後三時〇〇分退勤)

同月一五日 年休

同月一六日 公休

同月一七日 一直勤務(午前五時五三分出勤、午後四時〇二分退勤)

同月一八日 一直・二直連続勤務〔(午前五時五三分出勤、午後一〇時四五分退勤)残業時間八時間、深夜時間一時間〕

(二) 勲の死亡前三か月の勤務状況

期間

昭和六〇年

労働日数

(含・休日出勤)

年休

公休

早出・残業

時間数

深夜労働

時間

連続勤務回数

6.21

~7.20

二六

二八

五七

7.21

~8.20

一七

一三

三一.五

六五

8.21

~9.18

二三

二六

五八

なお、昭和六〇年八月二一日から同年九月一八日までの間の連続勤務は、同年八月二四日(一直・二直)、同年九月六日から翌七日(二直・三直)、同月一八日(一直・二直)である。

5  勲の生活状況・健康状態等(争いのない事実、乙五の9、10、12、13、19、20、八の1、原告)

(一) 勲は、昭和六〇年当時身長一六二センチメートル、体重六二キログラムくらいで、やや肥満気味であった。勲は食べ物に好き嫌いはなかったが、どちらかといえば辛い物を好んでおり、酒は毎日晩酌として焼酎の水割り(五対五の割合)をコップ一杯(調子がよいときはコップ二杯)か、ビール一本を飲むくらいであり、タバコは一日二〇本くらいを吸っていた。帰宅後はごろ寝をしてテレビを見ることが多く、就寝時刻は大体午前一時から午前二時ころであった。

勲は会社の山岳部に所属しており、年に二回くらいの頻度で登山に行っており、昭和六〇年八月ころにも久住山に登っていた。

勲は夏は暑さのため寝付きが悪く、原告は勲の足をアイスノンで冷やしたり、布団を丸めたものを足の下に敷いて足を高くしてやるなどしていた。

(二) 定期健康診断結果報告書によると、勲は、昭和五八年四月三〇日の成人病検診の結果、高脂血症(総コレステロール二六五)要経過観察とされ、昭和六〇年四月一二日の同検診の結果、心電図異常所見、要観察との記載があり、右心電図異常所見については房室性期外収縮と診断されているものの、その判定としては「観察 わずかに異常と認めますが、日常生活に差し支えありません。」とされている。

また、健康診断個人表には、昭和五七年三月五日欄に胃腸治療中、昭和五九年一〇月一二日欄に胃潰瘍治療中、昭和六〇年三月二二日欄に十二指腸潰瘍治療中との記載がある。

6  勲の死亡前日から、発症、死亡までの経緯(争いのない事実、乙五の6、10、11、15、17、八の2、原告)

(一) 勲は、昭和六〇年九月一八日、自宅を午前五時三〇分ころに出て、午前五時五三分に出勤の打刻をし、一直・二直の連続勤務をして午後一〇時四五分退勤の打刻をした。

勲は、同日午後一一時二〇分ころ帰宅し、妻と雑談をしながら焼酎の水割り(五対五の割合)を一杯飲み、翌一九日午前二時ころ就寝した。

(二) 勲は、翌同月一九日午前五時三〇分ころ起床し、一直勤務のときにいつもそうするように牛乳をコップ一杯飲んで出掛け、午前五時五八分に出勤の打刻をした。その後、午前六時三〇分から午前七時まで一回目のペンダント作業に従事し、三〇分の休憩の後、午前七時三〇分から午前八時まで二回目のペンダント作業に従事した。

勲は、二回目のペンダント作業終了後、休憩室に戻り、冷蔵庫からコーラ一本を出してこれを飲んだ後、操作室に移って椅子に座った直後、意識障害を起こして倒れた(午前八時〇五分ころ)。これを発見した同僚から連絡を受けた本件会社製鋼課長の山下裕行(以下「山下課長」という。)は、操作室に駆けつけたところ、勲は倒れたままで顔色が青白かったので、勲を本件会社の産業医である白井医院に自動車で搬送した。午前八時二〇分ころ白井医院に到着し、同医院では勲をすぐにベッドに寝かせたが、同医院の白井政之医師(以下「白井医師」という。)が勲に住所等を質問すると勲はこれに答えた。白井医師が注射をしたところ、勲は寝返りをうてるような状態になった。大手町病院に連絡をしてドクターカーの出動を要請した。白井医院の看護婦がマッサージをしていたが、勲はしきりに便意を訴えた。白井医師はトイレに行くのは我慢し、ベッドの上で用便をするように言ったが、勲がトイレに行けば気分が良くなると訴えるので、山下課長と看護婦が両腕を抱えて勲をトイレに連れて行った。ところが、勲がトイレの中でうなり声を出したので、山下課長がトイレのドアを開けたところ、勲は意識を失っていた。そこで、山下課長が勲を病室に運び、ベッドに寝かせたところ、大手町病院のドクターカーが到着し、有留秀泰医師(以下「有留医師」という。)が勲を診察した上、ドクターカーに乗せて大手町病院に搬送したが、ドクターカーの中で勲は呼吸停止、心停止の状態にあった。

ドクターカーは同日午前九時四五分ころ大手町病院に到着し、有留医師が勲に対し蘇生術を施術したが、勲は回復せず、午前一〇時二〇分に死亡した。

7  勲の死亡原因

(一) 白井医師の意見(乙五の16、17)

被告からの依頼に応じて白井医師が提出した勲の死亡に関する意見書には、負傷の部位及び傷病名欄に「急性心不全」、主訴及び自覚症欄に「全身倦怠感、冷汗、右肩部痛」との記載があり、初診時の症状及び経過として「昭和六〇年九月一九日午前八時ころ会社で急に気分が悪くなり、意識障害を起こして倒れたが、数分後に回復した。その直後、右肩部に疼痛あり、冷汗、不快感、全身倦怠感ひどく、午前八時三五分ころ来院した。初診時、発汗著明、意識障害なし、顔面蒼白、右眉上部に軽い擦過傷あり。口唇はややチアノーゼ気味。一分間脈搏数一〇二、緊張弱く、小さな頻脈で、かすかに触れる程度である。呼吸も弱く早い。心音は弱く聴診器にて聞こえる。眼瞼結膜はやや貧血状である。その他胸腹部に著変なし。歩行は人に支えられてやっと歩ける状態である。血圧最高三〇ミリメートル、最低〇ミリメートル。以上の症状、診察結果により、重篤なショック症状にて心不全状態と診断し、午前八時四五分ころ二〇パーセントブドー糖二〇ミリリットル+ウァバニン一ミリリットルを静脈注射するとともに、直ちに健和会病院へ連絡し、救急車の出動を要請した。注射後やや気分が良くなったと言っていたが、しきりに便意を訴えていた。どうしても便が出そうならば、そのままの状態で排出するよう指示したが、再三のすすめにもかかわらず、床上で排便するのを拒むため、やむを得ず、数人で抱えて便所につれて行き、排便させたが(便は固形、色普通、中等量)、その直後、便所にて意識障害となり、呼吸不整となったので、再び数人にてベッドへ運んだ。その時の血圧は最高最低ともに〇。チェーンストークの呼吸となったので、二〇パーセントブドー糖二〇ミリリットル+一パーセントノルアドレナリン一ミリリットルを静脈注射し、心マッサージを施行中、五〜一〇分くらい後、救急車が来院した(午前九時二〇分ころ)。爾後の処置は健和会病院の医師に委任した。」との記載があり、臨床諸検査については、重篤な症状であったため救命を第一と心掛け、その処置に終始し、十分な検査ができなかった旨、急性心不全が発現した医学的所見については、当院では不明である旨がそれぞれ記載されている。

(二) 有留医師の意見(甲四、乙五の14、15)

(1) 被告の依頼に応じて有留医師が提出した勲の死亡に関する意見書には、負傷の部位及び傷病名欄に「急性心不全」、主訴及び自覚症欄に「背部痛、意識消失」との記載があり、初診時の症状及び症状の経過については「外来搬入時には、すでに意識レベル三〇〇、呼吸停止、心停止状態であった。当院搬入前は、仕事終了後より気分不良となり、しだいに意識レベル低下していった。近医受診し、意識レベルは清明となるも、急激に背部痛を訴え、再度意識レベル低下をみている。当院で蘇生術を施術するも、回復は認めなかった。また、心停止、呼吸停止は、当院の救急車内で認めている。」と、臨床諸検査については「一応脳血管障害の可能性もあったため、頭部CTを死亡後にとっているが、異常は認めなかった。血液生化学検査では、GOT、GPT、CDH、CPK等の上昇を認めている。」と、勲の急性心不全が発現した医学的所見については「今回解剖検査は施行できなかったが、短時間の間に症状のアップダウンがみられ、痲痺等は認められなかったので、一過性に致死性の不整脈がおこった可能性はある。それが心筋梗塞等の虚血性心疾患や解離性大動脈瘤等に起因するものか、また、仕事が引き金になったのかは全く不明である。」との記載がある。

(2) また、有留医師の平成五年一一月二五日付意見書には、勲の死亡原因については、病理解剖をしておらず、患者をみた段階ですでに心肺停止状態だったため、一〇〇パーセント確定できる診断名はつけがたいが、勲の死亡原因として最も考えられるのは急性心不全であり、その原因について、被告の依頼に応じて提出した意見書に「それが心筋梗塞等の虚血性心疾患や解離性大動脈瘤等に起因するものか、また、仕事が引き金になったのかは全く不明である。」と記載したことの意味について、一〇〇パーセント確定できる診断は難しいということを表現したものであり、可能性がないと言っているものではないのであり、仕事との因果関係については、現場を調査のうえ、専門医(産業医)の意見を求めるべきであると考えるが、一般的に言えることとして、急性心不全やその原因となる虚血性心疾患の発症にはストレスや過労も充分誘引となりうるし、作業環境が劣悪であれば仕事との因果関係も深まってくる旨の記載がある。

(三) 竹下司恭医師の鑑定(乙八の5、6)

福岡労働災害補償保険審査官の依頼に応じて提出された、北九州市小倉南区所在九州労災病院健康診断センター竹下司恭医師(以下「竹下医師」という。)作成の有園勲の死亡原因と業務との相当因果関係についての鑑定書には、医学的所見・意見として以下のような記載がある。

(1) 本例の原死因及び直接死因が急性心臓死であることは疑う余地がない。心臓発作は昭和六〇年九月一九日午前八時〇五分休憩室で突如として起こった。適切な処置及び救急治療が行われたが、二時間一五分後に死の転帰をとった。死亡時年齢四六歳。解剖検査マイナス、外傷マイナス。

(2) 心臓発作の原因としては、本例の場合、臨床症状、血液生化学的所見(GOT、GPT、LDH、CPKの上昇)等により、急性心筋梗塞が最も考えられる。心筋梗塞の危険因子としては、本例の場合、①高コレステロール血症、②喫煙習慣、③飲酒習慣、④四〇歳代の男子等が注目される。

(3) 他方、会社における本例の業務はペンダントマンのそれであって、その業務内容、作業態様及び作業環境が質的または量的にみて、精神的または肉体的に明らかに過重負荷となったとはみなしがたい。睡眠、休養は十分にとれる状況にあった。発症当日もしかりであって、突発的・災害的なことは何ら発生していない。気象状況にも特記すべきことはない。

(4) 本例の心臓発作は機会要因(原因)的に起きたものと考えられる。

(四) 橋口俊則医師の意見(甲七)

大牟田市内の米の山病院付属中央診療所長橋口俊則医師(以下「橋口医師」という。)の作成にかかる「有園勲氏の急性心不全発症の業務起因性についての医学的検討」と題する書面には、以下のような記載がある。

(1) 勲の死亡原因について、白井医師及び有留医師の発症死亡時の状況説明からすると、心臓死であることが最も推測でき、その心臓死の原因は、臨床症状、血液生化学検査の結果によると、急性心筋梗塞が最も考えられるが、勲の冠状動脈の器質的狭窄の程度は不明であり、昭和五八年及び昭和六〇年の健康診断では高脂血症及び心電図異常が指摘されたのみであり、虚血性変化の所見はなく、臨床症状として胸痛などの自覚症状はなかったようであるから、健康診断の結果異常として指摘されたものが複合的に存在し、喫煙等の冠状動脈危険因子を考慮したとしても、勲の急性心不全発症は、血管病変の自然経過の範囲を越えて急激に増悪させる要因があったと考えざるを得ない。

(2) その要因としては、今回の発症の直接的原因となるような私的なことでの精神的負荷あるいは身体的負荷があったとは思えず、業務上の心身への負荷を検討すると、勲は、通常勤務においても三交替勤務で、高温高熱・騒音の作業現場において、緊張を伴った分刻みのペンダント作業に従事しており、、身体的負荷や精神的負荷は楽なものではなかったと推測できるし、その慢性的な疲労から健康上の影響として、胃・十二指腸潰瘍などの胃腸障害に罹患していたことが考えられる。

発症前日は一直・二直の連続勤務に従事したため、拘束労働時間(通勤時間等を含んだ時間)は約一八時間、実労働時間は一六時間であるから、高温高熱・騒音の作業現場で、緊張を伴った分刻みのペンダント作業は、通常業務よりはるかに身体的負荷や精神的負荷が強かったと推測でき、その結果として交代制勤務にとっては、重要な睡眠調整(睡眠の質と量の不足に対する補い方)ができず、わずかな睡眠時間とならざるを得なかったため、睡眠時間は約三時間強であり、その後、仕事を開始して約二時間後に高温高熱・騒音の作業現場から冷房された休憩室に移った直後の業務中に発症しているのであって、これらの発症直前の業務は、通常業務と比べ当然大きく異なった業務である。

(3) 結論として、勲は、高温高熱・騒音の作業現場で、緊張を伴った分刻みのペンダント作業で慢性的疲労に陥っており、つまり、血管の収縮と拡張を調節する自律神経機能の変調が存在する条件下にあり、この条件(慢性疲労状態)のもとに、発症直前のような特に過重な業務に従事することで、軽い刺激(高温高熱・騒音の作業現場から冷房された休憩室に移ったことでの環境の差)によって、急激な血管収縮(冠状動脈を含む)を引き起こし、回復できないまま心筋梗塞に陥ったものと考えられ、結局、勲の発症は、その前の過重業務が原因であるとするのが妥当である。

(五) 勲の死亡原因についての当裁判所の判断

前記認定の各医師の所見を総合すると、勲の死亡の直接の原因は急性心不全であると認めることができる。その急性心不全の原因は、勲の解剖検査が行われていないために、死亡の状況や死亡時の症状等から推測せざるを得ないのであるが、竹下、橋口両医師の所見によれば、臨床症状及び血液生化学検査の結果により、急性心筋梗塞の可能性が最も高いと考えられるというのであるから、当裁判所も勲の急性心不全の原因は急性心筋梗塞であると判断する。

二  業務起因性の判断基準について

労災保険法に基づく遺族補償給付、葬祭料が支給されるためには、労働者が業務上死亡すること、すなわち、その死亡が業務に起因すると認められることが必要であるが(労災保険法七条一項一号、一二条の八、労働基準法七九条、八〇条)、いわゆる労災補償制度が、業務に内在または随伴する危険が現実化した場合に、それによって労働者に発生した損失を補償するために設けられたものであることに鑑みると、この業務起因性が認められるためには、死亡と業務との間に、業務に内在する危険が現実化したと評価できる関係、すなわち、相当因果関係のあることが必要であると解するのが相当である。そして、本件のように労働者があらかじめ有していた基礎疾病などが原因となって死亡した場合については、当該業務の遂行が当該労働者にとって精神的、肉体的に過重負荷となり、右基礎疾病の自然的経過を超えて増悪させ、その死亡時期を早め、死の結果を招いたと認められる場合には、特段の事情がない限り、右死亡は業務上の死亡であると解するべきである。

三  勲の死亡の業務起因性について

当裁判所は、勲の死亡と業務との間には相当因果関係があると認めることができ、勲の死亡は業務に起因したものであると判断するが、その理由は、以下のとおりである。

1  勲の様子に異常が見られたのは、前記認定のとおり、同人が死亡当日午前七時三〇分から午前八時まで二回目のペンダント作業に従事した後、休憩室に戻り、冷蔵庫からコーラ一本を出して飲んだ後、操作室に移って椅子に座った直後、意識障害を起こして倒れたとき(午前八時〇五分ころ)である。

これは二回目のペンダント作業終了からわずか五分後であって、勲の発症は休憩時間中ではあるが、作業に極めて近接した時間に起きたものであり、常識的にみて、業務が有力な原因となっていることを窺わせるものと考えることができる。

2  勲が従事していたペンダント作業の内容は、前記認定のとおりであるが、摂氏一五〇〇度に溶けた鋼湯がモールド内を流れる際、モールドに付着しないよう、パウダーの厚みを監視しながら、必要に応じてパウダーを投入するのが主なものである。

このペンダント作業は、パウダーの厚みを一定レベルに保つように常に注意しなければならず、また、パウダーの投入は頻繁に行われるものであるうえ、作業現場の環境も、他の現場に比べて高温多湿であることから、精神的、肉体的に疲労し、血管の収縮と拡張を調節する自律神経に変調を来す危険性のある作業であるということができる。そして、一回(一日)八時間の労働時間のうち、休憩時間が四時間あり、三〇分毎に作業と休憩を繰り返すことになっているのは、ペンダント作業を三〇分実行すると、疲労がたまり、それ以上作業を継続すると、労働者の健康に重大な影響を及ぼす危険があるからであると考えられる。しかも、高温多湿の作業現場と冷房の効いた休憩室との温度差も血管を急激に収縮させるなど身体にかなりの負担を与えるものであるということができる。

以上の作業内容及び作業環境は、作業自体に特段の危険が内在していないデスクワーク等とは異なって、通常のペンダント作業自体に危険が内在していることを示すものである。

3  勲は、死亡前日である昭和六〇年九月一八日、午前五時三〇分ころ自宅を出て、一直・二直の連続勤務をした後、午後一一時二〇分ころ帰宅し、約三時間半の睡眠をとって、翌一九日は一直勤務のため、午前六時ころ出勤し、作業を開始していることは、前記認定のとおりである。

このことは、死亡前日から当日にかけての勲の労働が特に過重であり、発症時点で睡眠不足や疲労、精神的ストレスがピークの状態にあったことを窺わせるものであり、それが勲の発症に強い影響を与えたものと推測することができる。

もっとも、被告は、このような連続勤務は、勲を含めた全ペンダントマンが従来月に二回から三回行っており、通常の勤務形態であるから、過重ではない旨主張するが、前記の作業内容、作業環境に照らし、社会通念からみて採用することはできない。

4  勲には、昭和六〇年当時、高脂血症、喫煙習慣、四〇歳代男子という心筋梗塞の危険因子があったことは認められるが、勲の冠状動脈の器質的狭窄の程度は不明であり、健康診断の結果も日常生活に特に問題はないとされ、虚血性変化の所見は認められておらず、胸の痛みなどの臨床症状についての記載もなかったことを合わせ考えると、血管病変の自然的経過により勲の心筋梗塞が起きたとは考えられない。換言すれば、何らかの他の要因が作用して、勲の血管病変を増悪させ、自然的経過を越えて、急性心筋梗塞の発症に至らせたものというべきである。そして、本件においては、突発的・災害的な他の要因を認めることはできないので、業務以外に要因となりうるものがあるとは考え難いというべきである。

竹下医師の鑑定書(乙八の6)及び証言中、右認定に反する部分は採用できない。

5 以上を総合して判断するに、勲は、急性心筋梗塞の原因となるような血管病変はあったが、死亡前日及び当日の過重な業務に従事することで血管の収縮と拡張を調節する自律神経機能に変調を来たしていたところ、高温多湿の作業現場から冷房が効いている休憩室に移動したことにより、急激な血管収縮を引き起こし、回復できないまま心筋梗塞になり、死亡したものと推認することができる。勲の発症は、死亡前日及び当日の過重な業務が、勲の基礎疾病の自然的経過を越えて増悪させ、その死亡時期を早めたというべきであるから、業務に内在する危険が現実化したものと評価すべきであって、勲の死亡と業務との間に相当因果関係があり、勲の死亡が業務に起因するものと認めることができる。

四  以上の次第で、勲の死亡は業務に起因するものではないとした本件処分は、違法であり、取り消されるべきであるから、原告の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官草野芳郎 裁判官和田康則 裁判官松本有紀子)

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